遺伝子工学を院卒で学んだ私がDNA心理学で人生を再起動した物語
中の人のプロフィール
*DNAマトリクスリサーチ 研究員(DNAマトリクスリサーチwebsite
*経歴
1997年~環境問題解決に関心があり、将来は社会貢献できるような仕事をしたいと思い地元の新潟大学で勉強
2001年~筑波大学大学院でサツマイモのDNAを研究
(CO2を効率よくサツマイモという食料資源に代えるための有用な遺伝子探索)
2003年~水処理会社に勤め、環境ビジネスについて考える
2007年~現在 住宅のキズ補修会社勤務(キズのついた建材を捨てることなく再利用)
・プライベートではボランティア活動に参加していました。
・環境ビジネス、ボランティア活動に参加し、私は環境問題についてとか、世界をもっとよくするためには何をすれば良いか考えてました。
・そこで、汚染された環境を良くする作業的なことよりも、人同士の争い、人間関係の悩みにアプローチする方が、私にとっては大切なことと思い、DNAによる個性心理学を学び始めました。
(自己理解と他者理解にDNAで科学的にアプローチすること。DMRNetwork研究員として日々勉強&DNAによる平和なコミュニケーションを探究しています。
元々遺伝子工学を勉強していたので、私にとっては”DNA”は馴染みのある分野で、これこそは!と思い、勉強中です☆)
DNAタイプ(DNAマトリクスコードでわかるハプログループ) : haplogroupA5
スーパーハプロタイプはNグループ。
・ヨーロッパ系DNAをもつ日本人です^^
~ヨーロッパ系で日本人?って何のことでしょう?と思った方もお問い合わせください☆
詳しくは 最古であり最先端の個性心理学~DNAマトリクスコード~
DNAによる特性分析によると、私は慈悲慈愛の精神に生きる千思万考タイプ。
妻は自由と権利のために戦い社会的成功を追求する有言実行タイプ。
私はお互いが違いを認め合って人生を歩んでいけるから結婚して、それでずっとうまくやっています。
”気が合うから”とか”一緒にいて楽しいから”ではなく、お互いが補完しあうことを重視して、DNAをうまく活用して有意義に生きています。
私以外にも体験された方のリアルな感想についてのURLも貼っておきます↓
もう少し語らせてください☆
孤独の奴隷になっていませんか?
コロナ禍のときに、孤独の奴隷、という言葉をネット記事で目にしました。
~もし、あなたが誰かと祝いあうことが出来たなら、
それは幸せであり、実りある人生と言えるのではないでしょうか。
一体、何人の人が、物質的には恵まれていても、例えようのないほどの孤独の奴隷になっているのでしょうか。~
自己理解と他者理解って大事なことだとは思いますが、孤独にしばられていては落ち着いて考えることは出来ません。
SNS、おひとり様文化の発展など、一人で生きていけるような世の中になってきていますが、それは物質的に恵まれているようで、たとえようのないほどの孤独の奴隷になっているように思えます。
自分だけ良ければ良いという価値観に”なりやすい”のではないか?と思います。
でも、
目の前で困っている人がいると、
手を差し伸べたいと思う気持ちはありませんか?
目の前で誰かがものを落とした。
それを拾ってあげたくなる。
(実際に手を動かせなかったとしても)
ごく自然にそんな気持ちが湧いてきませんか?
それは偽善や打算的な心でなくて、
何故だか自然に湧いてくる。
他者へ思いやり、が無くなることはありません。
知らない人、
身近な人、
家族、会社、友人、学生仲間、
独りで生きていくには人間にはそうはさせない精神が備わっています。
生きていくには、
他者理解が欠かせません。
他者理解をするには自己理解も必要です。
自分を許せることで、
初めて相手の価値を知れ、
自分と相手を許せるようになる。
丁寧に生きていくヒントは
そこにあると思います。
このせわしないご時世に、
少し立ち止まって自分や周りの人のことを考えてみるということは、
人生を豊かにするためにも必要なことなのだと思います。
忙しい日常の中では、そんなこと考えるキッカケもなければ、
どうやって考えれば良いかわからないとも思います。
私は、そうした内面的なことに向き合うキッカケ作りと、
考えるためのツールであるDNAマトリクスについて
伝えていきたいと思って勉強カフェ会を開催しています。
~人生のテーマが「環境問題」から「自己理解と他者理解」へ~
中学生の頃は私の人生のテーマは環境問題でしたが、その後突き詰めていき、今の私にとっての人生のテーマは自己理解と他者理解になりました。
自分自身の過去から現在にいたるまでをまとめてみたいと思います。
私は小5から中2くらいまでイジメにあっていました。
同級生の中では運動神経はないほうだし、何かされても声を上げるよりは耐える方だったのでイジメやすい人間だったとは思います。
何でイジメるんだろう、と私なりに考えてました。
それはただの快楽のためなのだろうと。
自己中心的な理由であり、全く理解できず、でもイジメられる暴力に抗う勇気もなく、ただただ耐えてました。
イジメられない自分になろう、強くなろう、とは思いましたが、強く成長したら見返してやろう、とか復讐してやろうとは思いませんでした。
中2の頃に、幸い、イジメる側をいなすような同級生が周囲に何人か出てくるようになり、段々と環境が良くなって、学校生活は辛くなくなってきました。
私は弱い立場という属性に居たからか、周りにも自分のように弱い立場の人、いじめられたり、のけ者にされたりしているような同級生の存在が気になって、自分なりに思いやりの意識をもって手を差し伸べるようになってきました。
イジメは強い側の人間が「自分だけ良ければよい」、という自己中心的な行動だと思っていましたし、イジメる人の気持ちには全く共感できませんでした。
そして、それは、強い”人間”vs弱い”自然環境”、という構図にシンクロして目を向けるようになっていきました。
90年代前半の当時は、今よりも環境問題は注目されておらず、科学の教科書の最後のページに少しだけ載っていただけの環境問題関連のトピックスに意識を向けるようになっていきました。
物言わぬ弱い自然環境に対して、人間側が思いやっていかなければ、自然環境が回復していく分を人間の環境破壊の度合が上回るのは火を見るより明らか、という危機感が生まれました。どう考えてもこのままでは将来的に世界は終わる、と思っていました。
人間の文化的な活動が悪いのではなく、自然環境の回復力を上回らない永遠性をもつ発展的な活動が必要なのだと感じていました。
高校、大学で勉強を進めていくにつれ、自分自身が人生で何をすべきかの中心のテーマは環境問題でした。
大学で、遺伝子工学で環境問題を解決する植物を作る、という分野を知り、それを学ぼうと筑波大学大学院に進みました。
就職するときに大事にしたテーマは環境ビジネス。水をきれいにする水環境ビジネスの会社に入社しました。
プライベートでは町をきれいにするボランティア活動のサークルに入りました。
仕事もボランティア活動も、自分を犠牲にすることで環境問題解決に貢献できるのならばとやってきたつもりでしたが、何だか虚しく、没頭できる「これだ!」と思えることもなく、何をすべきなんだろうと悩みが大きくなってきました。
私が環境を綺麗にするために作業しても、環境に配慮せずに活動する人が増える限りは根本的な解決にならないと自分なりに理解し始めてきました。
環境問題解決、そのために環境を回復させるための技術に目を向けたり、回復させるための作業を自分自身がする、それは大事なことだとは思います。ですが、こうした活動を俯瞰して考えてみると、環境問題解決のために実作業に従事することが、私にとっては根本的なものではないと感じ始めたことが、その虚しさの原因なんだと今は思えます。
虚しさを具体的に考えた出来事を振りかえると3つ思い出すことがあります。
①筑波大学で遺伝子工学による技術で環境問題を解決しよう、ということで大学院に進学して、修士課程で研究をする傍ら、バイオ倫理学的な授業も受け、科学の発展と並行して学ばなければならない道徳的な面があると強く思いました。
”環境問題”という大いなる目的にとらわれすぎて、そこに潜む人間的要素にも目を向けないといけないのだなと。
②社会人になって、環境ビジネスの会社で働いたり、ボランティア活動に携わっていく中で、そこにある環境問題を解決する人たちを見て、成果やその行動自体は素晴らしいと思いましたが、その運営側の仲間の中でも、人としてどうなんだろう、という人たちにも出会いました。
③2006年だったかと思いますが、”不都合な真実”という映画がアメリカの元副大統領のアル・ゴアさんによって広まりました。私としては環境問題が市民権を得たと実感した一つの大きなことでした。
この映画や一連の世間の動き、私の周りの人たちの反応などを見て、私がやるべきことは技術で環境問題を解決するのではなく、もっと違うものに目を向けるべきなんだ、と大きなベクトルの転換が生まれ始めました。
自己中心的であることが許せない気持ちがあります。
(最近、○○ファーストと、色んな○○が当てはまった言葉が悪い意味で流行っているような気がして悲観的な気持ちがしてます><)
他者を思いやるという気持ちがあれば、もっと世界はよくなるという想いが、環境問題解決にいたる技術や作業を探究よりも私にとっては重要なのだと思いました。
(もちろん私自身も無自覚に自己中心的なところもあるので、誰かに指摘されるとハッとすることは多々あります。)
世の中の問題の多くは人間関係に起因する、環境問題の多くは人間関係に起因すると考え、私の人生のテーマは”自己理解と他者理解の問題を解決する”、というものに変わりました。
人間関係のモラルを考えられるのであれば、自然環境に対するモラルも考えることはできるのだと思います。
自己理解、他者理解よりも環境修復技術の方が重要だ、とはならないし、自分や他者に目を向けられない人が環境問題解決に取り組んでも、その場しのぎだったり、無自覚に人を傷つけるだけです。
「環境問題」と頭でっかちになっても(もちろんそんな人ばかりではない0^^0)、人を傷つけてでも、とはならないはずで、そうなると、この”無自覚”というのは本当にこわいことです。
自分はどんな人物なのか、”自己理解”。
しっかりと自覚しながら、各々が感じる責任に向き合い、自由な人生を有意義にすごすべきなのではないかと思いました。
私は”環境問題”がキーワードですが、人それぞれ向き合っている責任は違うと思います。
忙しい現代の中、無自覚に”自分”を見失うほどのスピードで生きていくのは非常に危ないと思います。
自分の特性を見つめることをないがしろにしては、他者理解は難しいです。
自分の特性を知り、受け入れ、相手のことを知り、受け入れる、他者を思いやる、これがDNAでしっかり解析できることを知りました。
自分の特性を知るためのツールは他にも色々とあり、それぞれ理にかなってます。
DNAで解析される特性は先天的で遺伝的なもので不変です。
この特性(車で言うエンジン)を元に、なりたい自分、こうでありたい、という願いに対して、後天的に自分自身が努力していくことや生まれた環境が深く関係していきます。
自分自身を知るための性格診断。
私は”パーソナリティ”は2つの要素を考えて分析するべきと考えてます。
近年の科学の世界でも行動遺伝学で提唱されている、”パーソナリティは遺伝が50%+環境が50%”。
この100%のパーソナリティを診断する性格分析は世に多数あり、それで知れる自分も勿論あります。
ただ、科学的に考えると、今の自分を”先天的なもの”と”後天的なもの”に深掘りしてみることが重要なのだと、その視点を先ずもっていただきたいと思ってます。
先天的に生まれ持った特性を元に、後天的に環境に左右されながら備わっていく素質。
DNAはこの先天的で生まれ持った特性にフォーカスできます。
自分がいまやりたいこと、やらなければならないと感じていること、なりたい自分像。
そこに向かって生きていくとき、自分自身の変えられない特性を知ることで、どう生きていくかに対して、できる限りストレスのない選択をしていくことができるのです。
そして、他者理解、そして自分自身の理解について、もう一つ大切な考え方があります。
DNAマトリクスリサーチが大切にしている
~アーキアイズム、自分にないものを相手から補完するコミュニケーション~
「自分の得意・不得意を理解する」
「相手の得意・不得意を理解する」
得意・不得意をDNAで科学的に理解し、互いの良さを理解し合い、苦手を補完し合う協力関係を築くことの必要性、素晴らしさをもっと伝えたい、と思ってます。
人の一生とは、受け継ぎ、磨き、そして伝えること。
私が具体的に出来ることは、DNAのことをもっと広めること、そして奥深いDNA個性心理学を探究し続けることだと思ってます。
一人で生きていけるような世の中になってきていて、意識的な自己中心的行動のほか、無自覚な自己中心的な行動を止める周囲の目も届きにくくなってきています。
他者への思いやりが無くなることはない、そう思っています。
忙しい日常において、自分について考えてみる、相手のことについて考えてみる、そんなキッカケを作り、考える手段としてDNAについて伝える、そんなイベントをしています。
関心があるかたはコチラをご覧ください。
https://note.com/repair_matrix/n/nfa831836a992
他のブログ
他のブログが見つかりませんでした。
